2008/04/28

責任能力って?



ここであまり悲惨だったり残虐な事件を扱うのはイヤなのですが
4/28「渋谷夫殺害事件」の被告に懲役15年が言い渡されました。
自分の夫を殺して、バラバラにして捨てて15年です。いま33歳らしいので、刑期を完全に終えて出て来てもまだ48歳です。まだまだ人生やっていけます。こんなのでいいのでしょうか?

激情してつい殺してしまってつかまったというならまだしも、バラバラにするということは「死体遺棄」を考えていた訳で、罪から免れようとしています。ここで問われるのが「責任能力」です。この事件では被告が「心神喪失状態であったため責任能力に疑問」と鑑定結果が出て、この刑期になったようですが、そもそも「責任能力の有無」って何?

責任能力があるのなら、悔いて反省して、いかに被害者とその家族に許してもらうか、社会復帰したならいかに世の中のためになっていくかを考えながら生きて行くのが殺人者の「責任」ではないでしょうか?逆に責任能力がないのなら、自分の命をもって代償とするしかないでしょう?

借金でも同じです。返済する責任能力があるのなら、財産を処分して周りから借りてでも返すのが責任で、責任能力がない人は家財を全て差し押さえられて破産させられます。当然その後の社会生活には支障が出て来るし、会社の解雇や一家離散やまた同じことの繰り返しでどうにもならなくなったりして人生終わりです。まあ借金だから命までは取られないにしても、それが殺人ならそうはいきません。

これが本当の意味での「責任能力」だと思います。いえ、だと思っていました…。
でもこれを書く前に「責任能力」をググッてみると…

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責任能力とは、一般的に、自らの行った行為について責任を負うことのできる能力をいう。
刑法における責任能力とは、刑法上の責任を負う能力のことであり、事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力のことである。責任能力のない者に対してはその行為を非難することができず(非難することに意味がなく)、刑罰を科す意味に欠けるとされている。(Wikipedia)
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びっくりです!一般的と刑法上の意味が全然違いました。
だとしたら、責任能力がなく非難することに意味のない人間を、例え無罪とはいえ社会に戻すのはまずいのではないでしょうか?事物の是非・善悪を弁別できないんですよ?それなのに中途半端(完全に正常になるまで面倒見るとは思えない)に社会に放ってしまっていいものでしょうか?無茶苦茶だなぁ。怖いわ{{ (>_<) }}

私は「ひとの心…その1」でも書きましたが、「ひとの命の重さ」を考えると、故意に殺人あるいは相当の罪を犯した者に「責任能力の有無」など必要ないと思っています。

画像は映画「39-憲法第三十九条」
犯行時、犯人が心神耗弱もしくは心神喪失の場合は罪に問わないという刑法第三十九条の規定をめぐって繰り広げられる犯人と鑑定人のやり取りを描いた心理サスペンス。主演:鈴木京香、堤真一 監督:森田芳光。

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