2008/04/23

ひとの心…その1



4/22に山口県光市・母子殺害事件の差し戻し控訴審の判決が出ました。
当然の「死刑」です。
しかしあの「宗教団体」じゃないのか?と思われるような21人の弁護団がまたもゴタゴタ言い出しました。
彼らは真実を無理矢理曲げているとしか思えないほどの無茶苦茶な解釈をして加害者を弁護しています。それは「元少年はずっと真実を述べてきた」と言っていることに基づくのですが、「暴れるので押さえていたら死んでしまった」とか「子どもが泣くのであやしていたら落とした」とか、はては「死んだ母親を生き返らせる儀式として女性を犯した」というものを信じているのでしょうか?
まさかです。いくら腐っても弁護士ですから、それはありえません。ならばなぜあれほどまでに意固地に引き延ばそうとするのでしょう?
プライド?死刑反対運動キャンペーンの一環?延ばせば延ばすほど収入になるから?
いえいえ、彼らはゲームをしているのです。この事件を借りて、法を動かすヒーローになりたいだけなのです。あるいは「延ばせば延ばすほど収入になるから?」も付け加えましょうか。

私は思うのですが、「精神鑑定をして責任義務がないと判断された者」で釈放されたり軽い刑を受けて出て来た者、悪弁護士によって無罪になった者、そして今回のこの加害者。そこまで言うなら、そういう判断をするなら「1年間あなたとその家族の中でひとつ屋根の下で暮らしてみろ!」それが出来るならあなたがたの判断もあながち間違いではないかもと見直します。それが出来ますか?もしかしたら夜中に枕元に包丁を持って立っているかもしれませんよ?家族は大丈夫ですか?あなたがたはそれが出来るぐらいの決意で弁護していますか?
多分そうしろと言ったら「冗談じゃない!」と言うでしょう。

今回の本村氏の言葉には重みがありました。「胸を張って納得して死刑の判決を受けてください」でも私には絶対言えません。
被害者の遺族のみなさんは、みなさん最終的に聖人のようになっていくように思えてなりません。我が子が交通事故にあったひとも、やがては「また同じような事故が起きないように」とか「起きた時に同じような処分をされないように」とか言われ、署名活動をしたり講演をしたりされています。
でも私は違います。私が本村氏だったら「泣いてもわめいてもいい、むしろそうして死刑の判決を聞いてくれ」と言い、事故の場合はそのあとの他人のことなんかどうでもいいと思ってしまいます。それよりなんとか加害者に重い罰を受けさせるように目撃者を捜し続けます。
本村氏も最初そうだったように、被害者の遺族は「復讐」というか「同じ目に遭わせたい」と思います。それは当然の感情でしょう。でもひとは「そんなことをしてもあの人は帰ってきませんよ」とよく言います。確かに大きな心でまさに聖母のようです。聞いたみんなも頷くでしょう。
でも私に言わせれば「ふざけんな!」です。まるで条件反射のように頷いてしまう聖母の暖かい言葉をしばし横において、冷静に考えてみてください。
私は思うのです。「加害者を許してやれば殺されたひとが帰ってくるなら、いくらでも許しましょう。」「加害者が懲役を済ませて出てくれば愛するひとが生き返るのなら、いつまでも待ちましょう。いえ、お願いして刑期を短くしてもらいましょう。」でもどんなことをしても殺されたひとは帰ってこないのです。だからこそ、加害者を許すなどと言うことはこれっぽっちも考えられないのです。
「ひとの命」というものはそれほどかけがえのないものでしょう。

『手紙』や『私たちの幸せな時間』のように、死刑囚を扱って涙を誘おうとする映画もありますが、こういうのを観るたびに思います。その死刑囚にも食事は当たり前ですが、必ず笑ったり喜んだりすることがあるはずです。いくら死刑になると決まっていても、それまでは「人生」があるのです。でも殺されたひとにはその瞬間からないのです。学校に行って友達が出来て、恋人が出来て、夢に向かって進んだり、遊んだり、結婚して、やがて子どもが出来て一家団欒があったり…そういうものを他人に根こそぎ奪われてしまうのです。そんな権利があるのでしょうか?
だから、ひとを故意に殺したのなら、最低でも同じ罰を受けなければいけないのです。それが社会で暮らすということでしょう。
精神鑑定不合格、責任能力、殺した人数、残虐性、環境…そんなもの関係ないです。死ぬことが最低限の償い…それほど奪った「ひとの命」は重いのです。しかも「責任能力」って何?

長くなりますが、最後に母子殺害事件の加害者が獄中からごく親しい友人に出した手紙にこういう内容のがあったそうです。
『知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君』
バレないと思ったのか知りませんが、結局これが加害者の本音に違いないと思います。そしてこの手紙だって弁護団は当然読んでいるはずです。それでもあんなことが言えるのは、彼らこそ裁かれなければいけない「やつら」ではないでしょうか?こんなのが弁護士をやっていけているというのが恐ろしいです。

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