2011/06/23

幼くないかい?日本人

先日「AKB48総選挙」があり、その模様がテレビ中継され、その模様は一般紙はもとより産経新聞のトップまで飾りました。

選挙投票券はCD1枚に1枚付いているそうで、大島優子ファンがなんとCD5500枚の大量購入をしたそうです。一体いくらになるのでしょう?1枚1000円としても…550万円(;^_^A え、計算間違えた? このアポみたいなのがそんなに持ってるなんて!



でも結局は前田敦子が1位に輝いたようですね。これは当然ですが紛れも無く「総選挙」という名を借りた秋元式悪質商法です。それ自体は私には関係のないことなので、どう金が動こうがいいのですが。

いつも聴いているラジオ番組でも総選挙の話題を取り上げ、番組中かなりの時間をあてていました。問題はこんなことをあえてニュース番組でもこぞって取り上げなくてもいいのでは?芸能誌でもない新聞が大々的に取り上げることではないでしょ?と思います。

サラリーマンなのに読んでいるものは新聞ではなく漫画、休日はゲーム三昧。どこかで「これが今ブーム」と言えば行列を並んででも買いに行き、マスコミが「菅、早くやめろ!」と言えばみんな口を揃えたかのように同じ事を言い出す。本当に菅さんが何もやっていない事を確かめての意見なのでしょうか?確かめる事は実際には個人では無理でしょうから、読み聞きして自分なりに考えた上での意見でしょうか?

今回の節電も同じで、もちろん福島原発を利用しているところは東京であろうと節電しなきゃいけないし、せざるを得ないとは思います。しかし、ここ東海地方の浜岡原発まで思いつきで停止して、その理由が「いつ来てもおかしくない東海地震に備えて」との事。

確かに来月にでも来るのであれば停止するのはわかります。しかし「いつ来てもおかしくない」という事は、もう随分前から言っていて年々持ち越しで言っています。そりゃそんな予想もいつかは当たるでしょう。しかしそのために停止するというのであれば、死ぬまで節電し続けるという事ですよね。来ればほとんど全滅というぐらいの規模らしいですし…。

それだったら、稼働しつつ急ピッチで周りを固める作業をしたほうがいいのではないでしょうか?しかもいま節電キャンペーンにホイホイ乗っている人たちは、本当に死ぬまで節電出来るのですか?この夏さえ出来るかどうかわからないのに…。

ACが災害時にしきりに放送していた「やらないと言えばやらないと言う…こだまでしょうか?」はまさに我々大人に言っている事ではないでしょうか?

なにしろマスコミが「節電しましょう!」と言えば、簡単に「節電しなきゃ」と思ってしまい、結局まとめて燃やされているのに「ゴミの分別」に必死になり、「エコキャンペーン!」と銘打てばみんな「マイ箸」とか持ち出したり、ゴミ袋をやめてエコバッグにし始めるし、何なんでしょうね?本当にエコしないと地球温暖化で滅びてしまうのですか?

そういう運動をしている人に聞きたいです、「二酸化炭素CO2」が地球にどんな悪影響を与えているのかって。本当に正しい回答が出来るのでしょうか?多くは「みんながやっているから」ではないでしょうか?

人間は馬鹿ではありません、日に日に進化しています。もし温暖化で北極の氷が溶けるとしても、それを防ぐ方法を考えるでしょう。いえ、もう考えられているかもしれません。二酸化炭素にしても、それ自体を有効利用してアミノ酸を作り出す研究が進んでいます。その科学者に言わせれば「二酸化炭素はドンドン出して」と言うかもしれません。

今話題のLED電球もそうです。例え10年もったって、その間にもっと軽くて安いLEDの進化形かあるいは全然違う新製品が開発されるでしょう。ブルーレイも同じです。DVDのディスクにブルーレイの何倍ものデータを入れられる技術が既に開発されています。ブルーレイに踊らされてDVDからブルーレイのディスクに買い替えた人はまた買い替えるのでしょうか?

以前にも書きましたが、ネット普及の考え、英語教育の根本もお隣りの韓国が笑ってしまうほど遅れています。中学生の英語の教科書を見て「何歳の本?」とさえ言われる始末です。

AKBにしたって所詮素人の集まり、K-POPのKARAや少女時代の歌唱力やダンスのセンスを見ればわかりますが、彼女達はデビューまでに充分なレッスンを受けたうえで出てきますが、日本の芸能界は昨日道で声をかけられて、次の週にはデビューしているという感じで、やはり観るに耐えられないような幼稚なレベルでしかありません。でもそれで通用してしまうのですから日本って…と思ってしまうのです。

漫画も必要かつ不可欠なものだと思います。しかし、それは青春時代の栄養剤であり、大人になるに従ってあえて決別するべきものです。それはおかしいと言うのなら、あなたは結婚式に半ズボンで行けますか?髪型も前髪を揃えて後ろは刈り上げたいわゆる「幼稚園カット」で通勤出来ますか?大人には大人の常識があるのです。

ゲームもクリアしたときの充実感は何とも言えないものがあります。また最初は出来なかったものが何度もやっているうちにクリア出来たときも自分が進化したと思ってしまいます。子どものときはそれでいいでしょう。しかし、大人になってもゲーム三昧はまずいでしょう?息抜き・暇つぶしのゲームならそれもいいでしょうが、朝から晩までゲーム漬けは大人としてはあり得ません。

それはなぜか?ゲームをクリアしたときの充実感は想い出話のネタにはなるものの、その後の自分には何のプラスにもならないからです。その間に費やした時間と想い出話のネタを比べれば、その比ではありません。もし同じぐらいだ!とか想い出話が作れればそれでいい!というのなら、あなたの1時間は10円ぐらいの価値しか無いのかもしれません。

「それでもいいし、個人の勝手でしょ!」というのならそれはそれでいいでしょう。確かに個人の勝手です。

長々と書きましたが、これからの時代には絶対的に必要とされる英語なのに今の日本の低レベルさ、頭で考えなくていい漫画依存、芸術面ではなく外面だけの芸能界とそれに浮かれる一時的なファン、仕組まれた戦略につぎ込む金銭感覚、言われたままに操られるコピラー・ブーマー達、与えられたものをなぞるだけのゲーマー達…あとには「想い出話のネタ」しか残らない。。

大人の定義というものは決まっては無いのでしょうが、もう少し自分で考えて、ふたりで選択して、家族で行動して、みんなで楽しむ人生を送りましょう!…と最近自分に言い聞かせています (≧∇≦)

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