2008/06/29

矢沢永吉・ブルーレイのCM[常識編]



前回では「見過ごしがちな名称のまちがい」について書きましたが、今回はその流れで「見過ごしがちな常識のまちがい」について書きます。

こんなフリで話を進めていくと、日頃思っている「子どもの日記は見るな!」という「見過ごしがちな常識のまちがい」についふれたくなってしまいます。

よく「子どもの日記を見た」なんて言うと、もう100%に近いほど「えーーだめだよ」と言われます。それが常識のようですし、私もそう思います。それは「他人の日記=他人のプライバシー=見てはいけないもの」という図式があって、多くの人は条件反射的に否定します。でも子どもを思うが故に見てしまい、それが基で子どもの非行を防げたという事実も聞いています。子どもの様子がおかしいと感じたお母さんが、もちろんその人も子どもの日記を見ることはいけないことだとわかっているのですが、それでも我が子が心配で見てしまいました。なにやら、友達に半強制的に援助交際をやろうと持ちかけられていて、その言い訳に「寂しい人を救うため」という立て前を無理矢理納得させられていたようです。

こんな事例では、プライバシーだとかプライベートなんて言ってられません。したことは良くないこと(悪いとは断言出来ません)でも、してあげたことは良かったのではないかと思います。まあこれは特例で、ギリギリ難しいところではありますが。

それと同じことで「お金の貸し借り」があります。よく「仲のいい友達でもお金は貸してはいけない!」と言うと、これもほぼ条件反射的に賛同されます。確かにそれにこしたことはないのですが、本当にそうでしょうか?その時貸すことによって、その人が助かるならいいことではないでしょうか。「貸すか貸さないか」ではなく、「貸すか貸せない」かで悩むのはアリです。当然余裕がなく「貸せない」ことはあるでしょう。でもそれを「貸さない」と構えてしまっては、救いを求めて来た人が気の毒です。借金を頼んだ人も平気で言っているのではなく、かなり言いにくいことを悩んだ末言ったんだろうし、自分が情けないと惨めになったりもした上でしょう。だから貸せるなら貸してあげればいいんです。

そしてもし、返してもらえなかった時は?
これもお決まりのように「貸すなら、あげるつもりで貸せ!」とよく言います。そんな馬鹿なことがあるでしょうか?「貸したら返してもらって当然」逆に言うと「借りたら返すのが当然」です。それでももし返してもらえなかった時に、自分がどれほどの怒りが湧(沸?)くかによると思います。相手に対して怒りたければ怒ればいいし、もっと怒れるなら訴えればいいし、呆れるなら呆れて中傷・罵倒すればいいし、まあいいやと思えば諦めればいいし、その時相手をこれまでにするか、これからも付き合っていくかは、あなた次第だということで、初めから「貸さない!」というのは、もしかしたら正しくないのでは?と思います。でもこれはあくまでも私個人の考えですので、苦情は要りません。

長くなってしまいましたので、[ソフト編]は次回にします。

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