2011/09/19
糞にたかる蝿ども
鉢呂元経済大臣の「放射能失言」に端を発した辞任会見が開かれましたが、その席でヤクザ口調の某記者に場内が一時混乱したとのことです。
その中に於いてもある記者が「そんなヤクザ言葉、大臣に対して失礼だろう?記者としてのプライドはないのか!」のような骨のあることを言っています。
ネットではこの骨のある記者を絶賛した記事が多いのですが、一連の映像を見ると最後にこの記者がヤクザ記者に名刺を渡し、名前を教えて欲しいと言っています。ところがヤクザ記者はそれを無視して、会場を去って行きます。骨あり記者はその後をなおも追って行き、エレベータまで同乗して何とか名前を聞こうとしています。その一部始終が映像は途中までですが音声は録音されていました。なぜここまで録音出来たのでしょう?それははなから録音目的で近づいていったからでしょう。作為的な香りがします(;¬_¬)
確かにヤクザ記者の発言は余りにも失礼で、記者は正義のためなら何をしてもいいとでも言いたそうな感じです。
そしてこの一部始終が映された映像がやはりYouTubeに載っていました。その下には無数の罵詈雑言(ばじぞうごん)が書き込まれています。中には「この記者の名前を公開しろ!記者だけ匿名なんて許せない!」というのがあり、「お前も匿名だからそんな言い方出来るんだろう?」と思わず笑っちゃいました^^
私がこの記事を書こうと思ったきっかけは、実は鉢呂失言でもヤクザ記者でも骨あり記者でもないのです。一般でも観られた新しいニュース映像をわざわざYouTubeに載せて、みんなに罵詈雑言の場を提供したアップ主、あなたはどういうつもりでアップしているのでしょう?正義感?ネット馬鹿が集まって面白いから?昔の貴重な映像でも自分発信でもない映像を載せて何を期待しているのでしょうか?
私はこの感覚が気持ち悪く、それで悦に入っているアップ主のしたり顔が想像できて、若干の腹立たしさを覚えたのです。
昔から「ペンは剣より強し」と言われ、新聞記者は頭が良く正義感の強い人たちだと思っていましたが、最近はどいつもこいつも芸能レポーターのようになってしまった気がします。
話は大元に飛びますが、そもそも鉢呂さんの言った失言とされる「死の街」という表現はよく使われる言葉です。我が市も夜8時を過ぎると駅前でさえシーンとしてしまっていて、よく「街が死んでる」と言われています。「いまは死の街になってしまったが、これから復旧のために全力でがんばろう!」といえば良かったのでしょうか?
「放射つけちゃうぞ」発言も、討論番組によると「各社表現がまちまち」だそうで、しかもその場にいなかった新聞社も同じような内容の記事を書いているとのことでした。もう無茶苦茶です。
だからといって大声を上げる気にはなりません。なぜかと言いますと、当の本人も「言っていない」と言っているにもかかわらず、さっさと辞任してしまっているからです。自分が言っていないと言うのなら、あくまでも貫いて欲しいのです。それをあっさり辞めてしまうなんて。。そんなに大臣の仕事って責任のない、しかも誰がやってもいいようなものなのでしょうか?
しかもそれを止めなかった野田総理。野田総理には少し期待しているのですが、のっけから当たらず触らず主義者ではあまり多くは期待出来そうにないですね。
本当に最近の日本人、ネットで名前も顔も出さずに吠えている奴らも含めて、プライドが無くなってしまったのでしょうか?
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