2008/02/11

人の寿命を決める



以前、人の寿命について「人の寿命は決まっている」で書きましたが、それとは違う意味で「人の寿命は決まっていたほうがいい」のでは?と思うのです。

現代では特にそうですが、人は長く生き過ぎています。だから毎日を無駄に過ごしがちになり、しまいには夢も目的も持たなくなってただのんべんだらりんと死ぬまでを待つ生き方になってしまいます。それでは自分にとっても社会にとってもためになりません。

そこで人の寿命を60歳までと定めます。もちろん今となっては、殺したりなにか薬や装置で死ぬようにしなければ無理な話なのですがそれも無茶で、ここでは最初からそうであれば良かったなという話をします。

60歳といえば、一応子供から手も離れ、その子供たちも自立しているだろうし、社会的にも定年退職が有効な歳でもあるし、後は老後をゆっくり過ごす年齢だと思われます。確かにこの老後を人生の余韻として感じる期間は人として大切です。ですから、リタイアの年齢を50歳とします。そして残りの人生(10年間)をまだ動けるうちに、しっかりと思考出来るうちに、有意義にのんびりと過ごすのです。それと、間違えてはいけないのが60歳まで必ず生きられるということではなく、その間に病気や事故で死んだりすることは当然あります。だから、不摂生したり暴走したりすればその分泣くことになります。

それを前提で話を進めますが、その前になぜ人は無駄に日々を過ごしたり、目的を持って生きようとしなかったり、あるいは犯罪に走ったりするのでしょうか?それはたぶん自分がいつ死ぬかもわからないことと、一生が無駄に80年もあるからではないのかと思ってしまうのです。

最初から60歳で死ぬとわかっていれば、人はもっと計画的で凝縮した有意義な人生を送るのではないでしょうか?
そうしないとあっという間に死は来てしまいます。犯罪なんかもってのほかです。例えば25歳で捕まって懲役20年もくらえば、あと人生たった15年です。しかもこれも健康だったらの話で、若い時が15年残っている訳ではないので、犯罪なんてそんな馬鹿なことやってられません。
自分の死ぬ時がわかっていれば、死ぬ時の計画も立てられます。普通は葬式の準備、呼ぶ人などを考えますが、人によっては場所を決めたり出来ますし、遺言書はもちろん、口頭で別れの言葉をみんな集めて行えます。相方への感謝の気持ちも言い尽くせますし、その前日に最後の旅行もしっかりできます。

自分がのんびりと出来るのもたかが10年、されど10年なので、お金を子供のために残そうと考えずに、自分たちのために使おうと考えるようになります。本来はそれが一番妥当で有意義な使い方だと思います。自分の人生に必要なだけ稼いで使い切って終わり。死出の旅には小銭があれば充分でしょう。

これらのことからも「人の寿命は決まっていたほうがいい」のでは?と私は思うのです。特に最近そう思うようになりました。

61歳の誕生日の前日23:59までを有意義に過ごしましょう。